講談社学術文庫を持ってる数が人間偏差値に比例する

…という文章を見たときに、数学をやっていると違和感を感じるものである。

何故かというと、「偏差値に比例」という言い回しがそもそもおかしいからである。

偏差値というのは平均を50、標準偏差を10となるように調整した値であるため、50が特別な数になる。一方、比例という条件だと0という値が特別な数になる。つまり、このような状況だと講談社学術文庫を一冊も持ってない人は人間偏差値が0になる必要がある。するとこの条件が成り立つ状況はとても限られたものであるように思える。

というわけで、題名の主張が成り立つような条件について考えてみることにした。

確率分布

{X}という確率変数を「講談社学術文庫をもっている数の確率分布」を定義する。ある人について、その人が本を{n}冊持っている確率は{P(X=n)}となる。しかしこのままでは何もわからないため、やや強引だが以下の仮定を追加する。

  • 講談社学術文庫はこの世に{N}冊存在する。ここで{N}は十分大きいものとする。(つまり{N\to\infty}の極限で近似できる)
  • ある本について、ある人がその本を買う確率は{\frac{\lambda}{N}}とする。ここで{\lambda}は正の定数とする。(つまり、たとえ{N}が2倍になっても、人々が買える本のが大きく変化することはない。*1その代わり「本BがAさんに買われる確率」が半分になる)
  • {i}が持っている講談社学術文庫の数の確率分布{\{X_i\}_{i=1}^{\infty}}は独立同分布である。

このとき

$$P(X=n)={}_NC_n\left(1-\frac{\lambda}{N}\right)^{N-n}\left(\frac{\lambda}{N}\right)^n$$

となる。{N}は十分大きいため、これは{N\to\infty}の極限を取ったものに近似できる。すると結局

$$P(X=n)=\frac{e^{-\lambda}\lambda^n}{n!}$$

となる。これはポアソン分布と呼ばれるものである。

計算は省くが、このとき期待値は

$$E[X]=\sum_{n=0}^{\infty}nP(X=n)=\lambda$$

となり、分散は

$$V[X]=E[(X-E[X])^2]=\sum_{n=0}^{\infty}(n-\lambda)^2P(X=n)=\lambda$$

となっている。よって標準偏差{\sqrt{\lambda}}となる。

 人間偏差値

とりあえず"偏差値"という名前がついているのだから、人間偏差値の分布を考えたときに、それは平均50,標準偏差10となっている必要がある。すると人間偏差値は以下のようになる。

$$50+10\cdot\frac{X-\lambda}{\sqrt{\lambda}}$$

 比例定数がどうであれ、講談社学術文庫を1冊も持っていない人は人間偏差値が0でなくてはいけないため、{X=0}を代入した結果を考えると以下のようになる。

$$50+10\cdot \frac{0-\lambda}{\sqrt{\lambda}}=0$$

 これが成り立つためには、{\lambda=25}でなくてはいけない。(十分性についての議論は省略)すると以下の結果が導かれる。

 

人間は、平均して25冊の講談社学術文庫を所持している。

 

 分布が確定するのならば、比例定数も確定するはずである。講談社学術文庫{n}冊持っているときの人間偏差値は

$$50+10\cdot \frac{n-25}{5}=2n$$

となっている。つまり、以下の結果が導かれる。

 

講談社学術文庫を1冊買うと人間偏差値が2上がる。

 

…もしこの文章を見ておかしいと感じたならば、「講談社学術文庫を持っている数が人間偏差値に比例する」という文章がおかしいか、または今までの数学的議論に不備があるかのどちらかだろう。

 

*1:仮定がおかしく見えるが、Nは十分大きいため、この状態からいきなり2倍になっても体感での変化は少ないと考えることができる。本の数が2倍になっても、存在すら知らない本が増えるだけで、「人生の中で遭遇することができる」本の数はあまり変化しないと考えれば自然な仮定であるように思える。